僕だけが覚えている、幼馴染のあの子のことを・・・。

                Missing person report
「この度はうちの伊智子が……」

 涙声ですっかり禿げ上がった頭を下げ、伊智子の父親は集まった人々に頭を下げた。人々はそんな

父親の姿に、さらに涙を誘われ盛んにハンカチを目尻に当てている。僕はそんな人々の姿を、どこか

冷めた目で見つめていた。

『信明君。本当に伊智子から何か聞いてない?』

 伊智子の母親はそう言って何度か僕の携帯に電話をかけてきたし、

『和田さん。オレ、どうしたらいいんでしょう……』

 九重はこの世の終わりとばかりに落ち込んで仕事も手に付かない有様で。みんなそれぞれ悲しみの

底にいるのに、僕だけが冷静なままだ。

「ねぇ本城。警察ではどう判断してるの?」

 伊智子の家に集まった友人たちの中に警官になった本城かおるの姿を見つけた僕は、人込みの中か

ら彼女を引きずり出した。警察官なら、何か一つくらい情報を持っているかと思ったのだ。

「まぁ、家出って程度よ。捜索願も出てるし、じきに見つかるでしょうっていう感じ」

本城はそう言って、伊智子の父親と母親に視線を向けてため息をついた。案外とそんな程度の扱い

なのかもしれないと思い、僕は“そう”とだけ言ってまた友人たちの群れの中に戻った。

「でも、個人的には。伊智子が家出なんてありえないと思ってるわ」

 伊智子の家からの帰り道。僕は本城と駅前の小さな喫茶店で、困惑した顔を突き合わせていた。薄

い唇にマルボロライトを挟んだまま、本城は眉を寄せる。

「それは僕も同感だよ」

 僕は伊智子の家の帰りに本城をここに誘い、伊智子と最後に会ったときの様子を事細かに彼女に説

明した。どんな些細な事でも何かの役に立つかもしれないと、一つ一つ丁寧に記憶を浮かび上がらせ

ながら。

「その恋人とは、うまくいってたのよね?」

 水滴がびっしりと張り付いたアイスコーヒーのグラスに手をかけ、本城は難しそうな顔をした。本

城の指先が触れた箇所から、涙の様に水滴が滑り落ちていく。

「うん。なんなら、九重を呼ぼうか」

 僕の提案に本城は頷き、マルボロライトをもみ消した。僕は立ち上がり店の外に出ると、携帯を取

り出した。二回、三回。コール音が響く。

『和田さん・・・』

 憔悴しきった九重の声が聞こえたとき、僕は九重に伊智子を紹介したことをひどく後悔した。明る

い体育会系の後輩。そんな普段の九重の姿は、受話器の向こうにはない。僕が伊智子と九重を引き合

わせなければ、こんなことにはならなかったはずだ。

『今から出て来れるか?ちょっと伊智子のことで聞きたいことがあるんだ』

『わかりました、すぐ行きます』

僕は簡単に場所を説明し、電話を切った。今更後悔するよりは、起きてしまったことをなんとか解

決する方が先だと思い直して。

「初めまして、九重俊太です」

 十分後。僕と本城が待つ喫茶店に着いた九重は、初対面の本城に深々と頭を下げた。その顔は心労

でやつれ、頬はこけていた。

「本城です。まず、座って」

立ったままの九重に僕の隣の席を示し、本城はまた煙草に火をつけた。九重はおずおずと椅子に腰

掛け、両手をひざの上に置いて本城を見つめる。

「大体のところは和田君から聞いたんだけど……。九重君からも聞きたいと思って」

さりげなく名刺と警察手帳を取り出し、本城は紫煙を吐き出した。九重は無言で手帳を凝視してい

たが、僕に突付かれて重い口を開き始めた。

「最後に合ったのは、伊智子さんが和田さんの所にグレープフルーツを持っていった後です。俺の家

に来てグレープフルーツをくれて、そして伊智子さんは夜の十一時ごろ自宅に帰りました」

九重は淡々と、だが悲しみが色濃くにじんだ口調で本城に伊智子のことを語り始める。僕はその気

丈さに感心すると同時に涙腺を刺激され、涙目になったのを隠すために俯いた。もし僕が仮に九重の

立場なら、ただ泣き崩れるばかりで何も答えることなどできなかっただろう。

「そのとき、何か変わった様子とかは?」

「何もありませんでしたね。いつも通りでしたよ」

九重はアイスコーヒーのグラスに刺さっているストローをもてあそびながら、首を傾げる。そんな

九重の様子を見ていた本城は、小さくため息をついてアイスコーヒーのグラスを自分の方に引き寄せ

た。

 何一ついつもと変わらない日々の中から失踪した伊智子。彼女が本当は何を考えていたのだろうと

思うと、十年以上の友好関係もちっぽけなものに思えてくる。何一つ、僕は伊智子のことを知らなか

った。その心の深遠を覗くことさえしなかった。友情というものの定義にまで考えが及んだ僕は、痛

みだした頭を押さえてため息をついた。

「ともかく、あたしも色んなルートを使って伊智子を探すから。二人もどんな小さなことでもいいか

ら、思い出したらあたしに教えて」

本城はそう言って、僕と九重に名刺を差し出す。“○○署刑事課本城かおる”という文字の踊る名

刺を見ていると、すぐにでも伊智子が戻ってくるような気になった。いくら不祥事も多く杜撰だとは

言われていても、一応警察は警察だ。必ず伊智子を見つけてくれるに違いない。僕は、心の底からそ

う信じていた。

 だが、その一週間後。事態は思わぬ方向に流れ出し始めたのだ。


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