僕だけが覚えている、幼馴染のあの子のことを・・・。

                Missing person report

 せっかくの休日なのに、日が落ちるのと同時に雨が降り出した。テーマパークから慌ただしく帰宅

する人達を映したニュースを見ながら、僕は狭いアパートの中でごろごろと転がり、痛む頭を持て余

していた。昨日、接待で飲めない酒を無理やり飲まされたせいだ。

 「オレの酒が飲めねぇってのかぁ〜」

 などと典型的な酔っ払いと化した取引先の社員の機嫌を損ねないよう、注がれるたびに杯を干して

いたのだ。元々アルコールに強くない僕には、地獄の時間で。やっと開放されたら、今度は二日酔い

という悪夢が襲ってきている。

 (さっぱりしたものでも食いたい……)

 這うようにして冷蔵庫の前までたどり着いたが、僕はそこで力尽きずるずると冷蔵庫の前に倒れこ

んだ。ひんやりしたフローリングの感触が心地よく、僕は行き倒れた人のように身体を弛緩させてう

とうとし始めた。

 ピンポーン。

 浅い眠りの底で、玄関のチャイムが鳴る音が聞こえた。その音をわざと無視し、僕はまたうとうと

し始める。

 ピンポーン。ピンポーン。

 今度は二回続けて、チャイムが鳴らされる。何度鳴らされても、今の僕に起き上がる気力はない。

かろうじて人の形はしているものの、
80%以上は床と同化してしまっている。

 「和田〜。いないの?」

 勝手に玄関をあけて入ってきたらしい友人の智子は、寝転がっている僕に気づかず踏みつけて大声を上

げた。
僕と伊智子は中学からの同級生で、気の置けない友人だ。社会人に

なった僕と違い、伊智子は大学院で史学の勉強を続けていた。

「ぎゃっ、死んでるぅぅぅ」

大学の演劇サークルでオペラを演じていた張りのある伊智子の声が、アパート中に響きわたる。 

 「し、死んでない、死んでない。頼むから足をどけてくれ」

 僕はそう言ってかすれた声で訴え、伊智子の足を軽く叩く。僕が生きていることに気づいた伊智子

はあわてて足をどけ、その場にしゃがみこんだ。

 「何したの?和田。行き倒れ??」

 「…二日酔い」

 首だけを上げて反駁した僕がおかしかったらしく、伊智子は声を上げてからからと笑った。

 「グレープフルーツ、もって来たの。食べる?」

 「食う」

 伊智子が手に持っていた大きな黄色い二つの玉を差し出してくれ、僕は嬉しくなっていそいそと起

き上がった。グレープフルーツは昔から僕の好物で、
23個ならぺろりと平らげてしまう。

 「たださ……」

 台所に立ち果物ナイフを探していた伊智子は、僕にもう一度グレープフルーツを見せ少しだけ困っ

たように笑った。

 「どっちがルビーでどっちがホワイトか、わからないんだよ」

 赤い果肉か白い果肉か。それが問題よねと言う伊智子は、見つけ出した果物ナイフを押し当てたま

ま静止画のように動かない。

 「いいじゃん。どっちもグレープフルーツだもん、美味しきゃいいの」

 僕は止まったままの伊智子に促すように笑い、早く切ってよと子供のようにせかした。はいはいと

言いながら伊智子はざくりと包丁で果肉を割り、手早く皿に載せて僕に差し出してくれる。果肉の色

は、鮮やかな赤。

 「いただきます」

 いそいそとグレープフルーツ用のスプーンを取り出し、先ほどまでごろごろとしていた部屋で食べ

始める。ぱぁっと柑橘類特有の香りが広がり、部屋を包む。

 「砂糖いる?」

 「いらない」

 一応ね、といいながら砂糖を僕の前に置き、伊智子はもう一つのグレープフルーツも切ってくれた

。今度の果肉は、白。

 「ところでさ、今日は何かあったの?もしかして九重と喧嘩でもした??」

 ルビーの方を食べ終え一息ついた僕は、伊智子にちらりと視線を投げかけた。九重は僕の会社の後

輩で、伊智子の恋人だ。九重は伊智子に一目ぼれしたらしく、何度も告白して付き合い始めたばかり

なんですよと、いつも幸せそうに鼻の下を伸ばしている。

 「九重君とは、いつもどおり。大事にしてもらってます」

 伊智子は照れたように笑い、赤くなった顔を伏せた。元来素直な所のない伊智子が、こんなに幸福

そうに笑うのは珍しい。僕も幸福になって、白いグレープフルーツにスプーンを付きたてた。

 「じゃ、ほんとにこれ持ってきてくれただけ?」

 「そうだよ。おすそ分け」

 伊智子はグレープフルーツに視線を投げ、薄く笑った。僕は安心して残されたグレープフルーツを

口に運び、幸福を摂取し続ける。

 「じゃ、またね」

 しばらくその姿を眺めていた伊智子は立ち上がり、ひらひらと手を振って出て行った。僕も片手を

上げそれに応え、やがてバタンとドアの閉まる音がした。

 

 「わ、和田さん、大変なんです!い、伊智子さんがいなくなっちゃんたんです。家にもいないし学

校にも行ってないって。ど、どうしましょう?」

 九重がそう言って僕に泣きついてきたのは、伊智子が僕にグレープフルーツをくれた日から三日後

のことだった―。



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