僕だけが覚えている、幼馴染のあの子のことを・・・。

                Missing person report

 「……起きて。起きて……」

 「んっ……」

 僕はやさしく身体をゆすられ、ゆっくりと意識が浮上してくるのを感じた。どうやら何か柔らかな

物の上に寝かされているらしく、身体に痛みは感じない。

 「起きた?」

 目を開けた僕の前に、薄明かりの中でぼんやりと二つの黒い瞳が浮かんでいた。どこか建物の中ら

しく、天井は六角形をしている。その瞳の持ち主は僕を覗き込むのをやめ、ゆっくりと身体を起こす

。やっとはっきり見え出したその人の顔を見た僕は、驚きのあまり跳ね起きた。

 「い、伊智子?伊智子だよな?!」

 上にかかっていた薄手の毛布を跳ね除け、僕は目の前にいる女の肩を掴んだ。僕だけがその存在を

覚えていた、消えた幼馴染。なぜ消えたのか、なぜ僕だけに記憶が残っているのか。聞きたいことは

山ほどあったけれど、言葉にならなかった。

 「彼女にそんなことを聞いても無駄よ。覚えていないんだもの」

 そのとき、僕の背後から低く抑えた女性の声がした。僕は伊智子の肩を掴んだまま、声の主を振り4

返る。

 「急にこんなところにつれてきてごめんなさい。私はシオウ・ママドール、この建物の責任者よ」

 シオウと名乗った女は、金色の髪を揺らして僕達に歩み寄ると伊智子の背中に手を当てた。伊智子

はそんなシオウを見て、にっこりと笑う。

 「ママ。この人は誰?私を知っているの?」

 「この人は、あなたを他の誰かと間違えているのよ。気にしなくていいわ」

 シオウと伊智子の会話を聞いていた僕は、教会からの帰りに僕を拉致した男も“ママ”と言ってい

たことを思い出した。あの男のいう“ママ”も、彼女なのだろうか。

 「あなたにとって彼女は伊智子なのかもしれないけれど、彼女の性格な名前はファースト・ドールと

いうの。さっきあなたを連れてきたのはセカンド・ドール。覚えておいてね」

 僕はわけがわからないまま伊智子、いやファーストの顔を見詰めていた。彼女は戸惑うように薄く

笑いながら、僕から視線を逸らす。史学を愛しオペラを愛した幼馴染は、今全く別の名前で僕の前に

立っている。そのことが僕に、更なる混乱を招く。

 「最初から、説明してくれませんか。僕には何がなんだか、わからない……」

 僕の言葉にシオウは頷いてファーストに何かを囁く。ファーストはこくんと頷いたかと思うと、足早

に部屋を出て行った。シオウが壁面にあるスイッチに手を触れると、六角形の室内に柔らかな明かり

が灯る。

 「ここは国が運営する研究所で、遺伝子工学を研究しているところよ。あなたが伊智子と呼ぶあの子

も、あなたを無理やりここまで連れてきた男も。ちょっとした遺伝子操作実験に使われているの」

 どこからか分厚い資料を取り出してきたシオウは、付箋をつけていたページを開いた。そこには伊

智子の写真と髪や肌の色などが詳しく記載され、僕では判別できないような遺伝子の情報までが書き

込まれている。

 「本当は、今はパソコンで管理しているから詳しいデータはこれにはないのだけれど。これがあの子

のデータ。髪の色や肌の色なんかは、ちょっと遺伝子情報をいじれば変えられるのよ」

 膨大な数式に眩暈を覚える僕を見て、シオウは苦笑した。

 「あの子は、遺伝子実験のために連れられてきた被験者の身代わりとして送り込まれる人形。本物の

被験者は三年前にこの研究所にサンプルとして捕獲され、冷凍保存されているわ。だからあの子には

血液も通っていなければ、心臓もないの。もちろん不自然じゃない程度にカモフラージュするための

、ニセモノはいれてあるけど」

 「嘘だ……」

 僕は首を振り、一歩後ずさりする。僕の今までの記憶が、伊智子と共に過ごしてきた僕の記憶が、ス

オウの言葉を否定していた。こんなにも鮮やかな記憶を僕に残す伊智子が、ただの人形だということ

がどうしても僕には信じられなかった。

 「そうよね、記憶が残っているならそう思うはずよね。だから国はドールと接触した人間の記憶を消

すことを私たちに義務付けているけれど、ごく稀にあなたのようにドールの記憶が残ってしまう場合

があるの」

 スオウは後ずさりする僕に近づき、不気味なほど優しい笑みを浮かべる。その笑みを見た僕の背に

、つうっと冷たい汗が流れ落ちた。

 「だから、あなたにここに来てもらったのよ。今からあなたにはこの施設と私たちの存在、そしてフ

ァースト・ドールの記憶を消すための手術を受けてもらうわ」

 かんかんと靴音を立ててスオウは僕に近づき、僕の頬に自分の手を添えた。その手は冷たく、ねっ

とりと僕の肌に張り付く。


 「手術の後遺症はないし、傷跡も目立たないようにするわ。ここのメディカルスタッフは優秀よ、あ

なたたちが通う病院の医者なんかとはレベルが違う。それにあなたも、いつまでもあの子の記憶なん

か持っていてもしようがないでしょう?」

 僕はその手を引き剥がし、スオウをにらみつけた。たとえドールであっても、伊智子は僕にとって

はかけがえのない幼馴染だ。

 「僕が、僕が伊智子の記憶を持ち続ける限り伊智子は生きているんだ。だから僕は、伊智子の記憶を

無くすつもりはない」

 「馬鹿ね。向こうはあなたのことなんて覚えていないのよ」

 スオウは引き剥がされた手をさすり、寂しそうに呟く。さっきまでと違うスオウの反応に気付いた

僕は、黙って彼女の顔を見詰めた。

 「私は、ここにいるドールを管理するために作られたドール。だから他のドールと違い、記憶という

ものを持っているわ。今まで何千体ものドールを管理してきたけど、彼らには記憶というものは存在

しないの。それはドールにとっては“邪魔”でしかないものだから」

 くぅくぅと息を漏らすように笑い、スオウはばたんという音を立てて資料を閉じる。

 「それでもあの子、ファーストを忘れたくないというなら。面白いものを見せて上げるわ」

 スオウが壁にあるボタンを押すと、天井から巨大なスクリーンが下りてきた。僕はそのスクリーン

とスオウを交互に見比べ、続く言葉を待つ。

 「これからここに、あの子が作られてから今までの“記憶”を映すわ。あの子にとってあなたはどん

な存在だったのか、知る勇気はあるかしら?」

 歌うようなスオウの言葉に誘われるように、僕は頷く。それを受けたスオウが何かの端末をいじる

と部屋は一瞬にして闇に沈み、ジジジ……という機械の作動音だけが生物のように響き始めた。

To be continued.




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