僕だけが覚えている、幼馴染のあの子のことを・・・。

                Missing person report

 「おめでとう〜」

 たくさんの祝福の声が当たりに響き渡り、大地を揺らす。飛び交うライスシャワーと歓声を浴びた

花嫁と花婿は、目を見合わせて幸福そうに微笑んでいる。

 「こんな美人と結婚できるなんて、九重は幸せもんだよ」

 「若くて優しそうな旦那さん見つけてよかったね、かおる」

そんな声が耳に飛び込んでくるたびに、僕の心はどんどん重く暗くなっていく。

 時間の流れは速いもので、僕が最後に伊智子と会ってから一年が過ぎた。誰一人として伊智子の存

在を覚えている人間には出会えないまま、僕だけが伊智子の記憶を抱き続けていた。あれ程伊智子を

愛した九重も、絶対に見つけ出してみせると言った本城も。伊智子の記憶を取り戻すことはなかった。

 「先輩、暗い顔してどうしたんすか?俺が先に結婚したからおもしろくないんすか?」

 幸福にとろけた九重に、苦笑しながら首を振って。僕は晴れすぎた空を見上げ、小さくため息をつ

く。

 「かおるさん、先輩のようすがおかしいんすよ」

 「あら、本当ね。顔色悪いわよ、和田君」

 純白のドレスを着た本城は顔をしかめ、ひらひらとレースの付いた腕を振り近くにいたシスターを

手招きした。彼女は何も言われなくても事情を察したらしく、教会の奥から外人の神父が連れ出され

てくる。

 「少し具合が悪いようなので、中で休ませてもらえますか?」

 「ええ、かまいませんよ」

 五十絡みの初老の神父はにこりと笑い、僕を教会の中へ促がした。具合が悪いわけではなかったが

これ以上二人の結婚式を見ていたくなかった僕は、神父の後について教会の中へと向かう。

 「あの二人に、恨みでもあるのですか?」

 僕を椅子に座らせ温かな紅茶を差し出しながら、神父は心配そうに眉を寄せる。僕があの二人を見

るたびに湧き上がる困惑と疑問を堪えていた姿を、怒りと勘違いしているらしい。

 「いいえ、そんな事はないですよ」

 甘く深い香りのする紅茶を一口飲み、僕は神父の言葉を否定する。あの二人に恨みなんてあるはず

がない、大切な後輩と友人なのだから。そしてそんな二人が結婚をすることは喜ばしいことで、祝福

されるべきことで。だけど……。

 「ならば、何故あれほど哀しい目であの二人を睨んでいたのですか?」

 畳み掛けるような神父の言葉が空気を震わせ、紅茶の水面を揺らめかせる。同じように僕の心も、

ゆらゆらと揺らめかせる。

 「僕だけが、覚えているんです。幼馴染のその子のことを……」

あの日から誰にも言えなかったことを、僕は洗いざらい神父にぶちまけた。ある日突然幼馴染だっ

た伊智子が失踪したこと、恋人や友人果ては両親まで伊智子が存在した記憶を失っていること、一年

経っても僕の中にある伊智子の記憶は鮮やかになるばかりだったこと……。窓から差し込んでいる穏

やかな午後の光が、たそがれの色に変わるまで。僕はひたすら話し続けた。

「そんなことがあったんですか、にわかには信じがたい話ですが……。そういえば私の祖父の残し

た日記にも、同じようなことが書かれていましたよ」

神父はおもむろに立ち上がるとろうそくに火をつけて、書棚から羊皮紙張りの古めかしい雑記帳を

引きずり出してきた。流麗な文字でロビン・ワイズと裏に名前が書かれている。

「あぁ、ここです。日本語に直すと…“僕が神の道に入ったのは最愛の妻と娘を失ったからだ”修

道院でできた友人のマルティネスは今日、私にそう打ち明けてくれた。まるで神隠しにでもあったか

のように娘と妻は消えてしまって、誰一人として二人のことを覚えていないんだ。妻の父も母も、勤

め先の上司も友人も皆……。僕はもう生きていく望みを失い、神に縋ることしかできなかったんだ。

僕一人だけが二人の記憶を背負うのは辛すぎるんだ……。マルティネスはそう言いながら、妻と娘を

想い涙を零していた」

神父が読み上げる日記を凝視しながら、僕はそのマルティネスの想いに強烈なシンパシーを感じて

いた。ただ一人で記憶を背負うのは、酷く辛いことだ。自分が忘れてしまえば、その人が確かにこの

世界にいたことを証明できる人間がいなくなってしまう。それが強迫観念となり、自分に降りかかっ

てくるのだ。

「残念ながら、祖父も友人のマルティネス神父も亡くなっていますから。もはや真実を知る人間は

いないでしょうね」

神父は残念そうにため息をつき、雑記帳を書棚に戻した。さっきまでのたそがれはもはや闇に変わ

り、ろうそくの炎だけがぼんやりと闇の中に浮かび上がっている。

「でも、伊智子のことを話せて少しすっきりしました。長居してしまってすみません」

僕は神父に礼を言うと、教会を出て家へと向かう。後で九重と本城にも謝らなければならない。彼


らは何も覚えていないのだから、僕が睨みつけていた意味も分からず気を悪くしたに違いない。

「あ、すみません」

そんなことを考えながら歩いていた僕は、狭い路地で誰かにぶつかってしまった。反射的に謝罪の

言葉を口にしたものの、相手は何も言わずに僕の腕を掴む。

「な、何をするんですか?」

僕の腕を掴んだのはボディビルダーのような男で、有無を言わさず僕を引きずっていこうとする。

僕は近くにあった電柱につかまり抵抗を試みたが、男の力は凄まじく簡単に引き剥がされてしまう。

「ママがお前を待ってる。命の補償はする、抵抗するな」

男は抑揚のない声でそう言うと、僕を簡単に担ぎ上げて近くに止めてあった黒い車に押し込んだ。

僕と男が乗り込んだ車は、かすかなタイヤの軋む音を残して闇の中に紛れ込む。

「これはどういうことなんだよ?!」

「お前をママのところに連れて行くのが俺の仕事。後はママが決める」

わめきたてる僕を睨みつけ、男は面倒くさそうに僕の腹部を思い切り殴りつけてきた。強烈な痛み

を感じた瞬間、僕は意識を手放した……。



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