太陽が燃えている

 自分ではどうにもできないような感情にぶち当たったとき。私はいつも黙って太陽を見上げる。見

上げる太陽はいつもまぶしくて、私から視力を奪う。その視力を奪われている時間が、私にとっては

何よりも幸せなときなのだ。だって、見なくてすむから。嫌なもの、怖いもの、哀しいもの。見たく

ないものは全て、太陽に視力を奪われれば見なくてすむ。

だから私は、太陽を愛している。その強くまっすぐな光を愛している。できるなら太陽だけを見つ

めて、ただまっすぐに生きていきたい。曇りの日も、雨の日も。太陽は確かにそこにあるから。私は

顔を高く上げ、まっすぐに生きて生きたい。

 

「私、和風弁当」

短くも貴重な昼休みが始まると、私はいつも社内の人たちと近所のお弁当屋さんに向かう。がさが

さとビニール袋の音を立てながら会社に向かうまでの時間は、なかなか楽しいものだ。そして今日の

話題は、雨夜の品定めの逆バージョン。女たちが男について語る、白昼の品定めだ。

「あの人さ、わがまますぎだよね」

「そうそう、すっごいわがまま」

単調な日々の娯楽として、陰口はなかなか刺激的なアクセントになる。私もいいことじゃないなと

思いながら、カフェや居酒屋で友人と陰口で盛り上がることも多い。だけど、今彼女たちが口にして

いる言葉は、ぐさぐさと私の心を突き刺す。

 「和美もそう思わない?大地さんのこと」

 ニコニコ笑いながら話を聞いていた私は、突然話を振られてきょとんとした顔をしてしまった。ま

してや話題にされている男が大地さんでは、うかつな答えは返せない。

 「大地さんは…わがままっていうより、自分のルールがある人だと思うんだよね」

 言葉を選び慎重に答えを返した私に、一緒に歩いていた三人の六個の目が向けられた。その目には

驚きの色が浮かんでいたが、次第にからかうような色合いを帯びてくる。

 「もしかして。和美、大地さんのこと好きなんじゃない?」

 「そうやってかばうところが怪しいよね」

 「正直に言ってよ、応援するから〜」

 口々に発せられる女の常套句に、私は引きつった笑みを返すことしかできなかった。同じ女に生ま

れながら、私はこんな会話が苦手だ。他人の恋愛ごとに首をつっこんでくるな!と、短気だった学生

時代はよく怒鳴ったものだ。おかげで私は、その時期随分友人をなくした。

 「好きだけど、人として好き。恋愛感情はないんだけど」

 私が“正直に”答えても、友人たちの目に浮かぶからかいと興味の色は消えない。それがうっとお

しくて、私はそれ以上何も言わずに黙り込んだ。友人たちは、ああでもないこうでもないと好き勝手

に私の恋愛を捏造し始めたが、私には訂正する気力も残っていなかった。

 「今日も飽きずに弁当か?」

 会社に戻った私たちが、がさがさとビニール袋をさげて会議室のドアを開けると、そこには食後の

午睡とばかりに机に突っ伏した大地さんの姿があった。普段なら誰か人がいれば場所を変えるのだけ

ど、今日は私の架空の恋愛話で盛り上がっていたからだろう。私は無理やり大地さんの隣に座らされ

、弁当を食べさせられる羽目になった。

 「大地さんって彼女いるんですか?」

 さっき“協力するから”と耳元で囁いた友人の一人が、さっきまでの陰口など忘れたように甘い声

を出している。私はがんもどきの煮つけを食べながら、横目で彼女に冷ややかな視線を注いだ。

 「いると言えばいるし、いないと言えばいないけど」

 穏やかな微笑を浮かべながら、大地さんは曖昧な答えを返す。あきらかに彼女からの質問の真意を

見抜いていて、遊ぼうという腹らしい。

 「どっちなんですか?はっきりしてくださいよ〜」

 別の友人が、さらに甲高い声で大地さんに迫る。私は大地さんの彼女の話題になんか興味がないか

ら、無言のまま厚焼き玉子の咀嚼を続けた。

 「どうして俺の彼女にこだわるの?別にいいじゃない」

 大地さんはそう言うと、私の和風弁当から高野豆腐をつまみ上げ口に放り込んだ。私はきっと窃盗

犯をにらみつけたが、犯人はあらぬ方を向いて私の視線をかわしている。

 「じゃあ、どんな人が好みとか。それくらいは教えてくれてもいいんじゃないですか?」

 最後に残った友人が追い討ちをかけると、大地さんは面倒くさそうにのろのろと立ち上がった。

 「馬鹿な奴。それもただの馬鹿じゃなく、自分が馬鹿だって知ってる馬鹿」

 私の弁当から海老のてんぷらを掴みあげると、咥えながら大地さんは会議室を出て行ってしまった

。取り残されてきょとんとしている友人たちを見た私は、腹を抱えて笑ってしまった。この程度の会

話で他人から恋愛の話を引き出せると思っている、利口なふりをした馬鹿なお前らには用はないと大

地さんは言いたかったのだろう。お見事だ。

 「和美、どうしてあんな大地さんがいいのよ〜?」

 「そうだね……」

 友人たちの困惑の視線を受け止めながら、私は缶入りのお茶を静かに飲む。答を待つ六つの瞳を見

ながら、私はさっきの大地さんと同じような微笑を浮かべた。

 「あんなふうにやりたい放題やれるとこ。誰の評価も気にしないで、勝手に振舞えるところ」

 私のお弁当から勝手におかずをつまむことも、女子社員たちの評価も。仕事中は上司の評価も気に

せずに、自分のやりたいことをやれる強さ。その強さが、気弱な私にはとても眩しく映るのだ。

 「大地さんはね、太陽みたいな人なんだよ」

 食べ終えた弁当の容器を片付ける私に、友人たちは首をひねる。そのままゴミを捨てるべく会議室

を出た私の前に、ぬっと一本の腕が差し出された。その手には、一枚のガムが乗っている。

 「海老天と、高野豆腐の御礼」

 待ち伏せでもしていたのか、大地さんはやけに神妙な顔をしてそこに立っていた。私はありがたく

ガムを頂くと、ゴミを捨て会議室のドアに手をかける。

 「太陽だって、曇ることもあるよ。そんなときでも、君は僕を太陽だって言ってくれる?」

 顔色ひとつ変えないまま、大地さんは私の顔を見つめてくる。

 「曇っても、消えるわけじゃないですから。太陽は太陽です」

 私はそう答えると、ドアを開け会議室の中に身体を滑り込ませた。後ろで大地さんが笑う気配がし

て、私はほっと胸をなでおろす。大地さんには、いつも笑顔でいて欲しい。

 「あっ」

 さっきまでお弁当を食べていた席に戻り、ガムを食べようと包み紙を開いた私は小さく声を上げた

 「どうしたの?和美」

 「あぁ、ごめん。なんでもない」

 私は友人たちに見えないように、ガムの包み紙の裏側に書かれた文字を確認する。

 『君が好きだ』

 それは間違いなく、太陽からの告白で。その紙を胸ポケットにしまいこむと、そこから太陽の暖か

さが体内にしみこんでくるような気がした。今私の胸には、太陽が燃えている―。    
  


                                                        
Fine.



  *円。Vol.4睦言より転載