jussqe'aubout du monde


「お前は、俺にとって特別な女だろうな」

「それはどうも。光栄だわ」

「お前みたいな特別なロクデナシには、もう二度と出会えないよ」

「……その言葉、そのまま返す」


恋人になるより簡単で、キスをするより難しいこと。

それは私にとって、彼を愛することでした。

彼はもう、人生を並んで歩く存在を持っていましたから。

私は彼への愛をどう表現したらいいものか、いつも悩みました。

この“愛”は、愛であって愛でない。不思議な愛でしたから。


「私が今、愛してるって言ったらどう思う?」

「はは、似合わないって」

「でも、愛してるんだよ」

「知ってる」

「私は愛されてる?」

「愛されてるよ。少なくても俺からは」


愛してるという言葉を何度繰り返しても、そこには官能の小波一つ立ちませんでした。

ただ愛だけが、そこにはありました。

手も繋がず、唇も合わせずに。私たちは、深く愛し合いました。恋愛ではなく、愛がそこにありました。

少なくとも、あの日までは。


「じゃあ、またな」

「うん、またね」

いつものようにそんな言葉を交わし、受話器を置いた後。彼は私の前から姿を消しました。

私は彼を探しませんでした。心配もしなければ、恨みもしませんでした。

なぜなら彼が姿を消した理由を、知っていたからです。

それにいつの日か、また会えるような気がしていたからです。


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それなのに、何故死んだの?この大馬鹿野郎。

遺書を遺して車で海に飛び込むなんて、三流映画みたいな死に方で。

私はまだまだ、あんたに愛していると言いたかったのに。

あんたの声を聞いて、あんたの言葉に反駁して。ずっとずっと生きていたかったのに。

私から愛を奪ったあんたを、私は死ぬまで許さない。

世界の果てまで追いかけて、いつかあんたを捕まえてみせる。

そして言い足りない分の愛を、あんたの耳元で叫んでやる。

愛してるよ大馬鹿野郎、って。


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でも本当に大馬鹿野郎なのは、私でした。

私は彼を愛していました。

彼のいない世界を歩むことさえできないほど、愛していました。

そんな私に、ある日彼の言葉が届きました。

『愛している。最後にその言葉を伝えたかった』

彼の綺麗とはいえない文字が、踊る葉書を抱きしめて。

私は唯一度だけ、彼を想って泣きました。


愛するべき大馬鹿野郎を探して、私はこの世界の果てに向かいましょう。

そしてその果ての果てで彼と再び会えたなら。

私はまた、彼に伝えることができるのでしょう。


「愛しているよ、大馬鹿野郎」




                
                                             Fine.



**追記**

先日、フランス語の辞典を買いました。和仏辞典です。

ぱらぱらとページをめくっていたら、こんな単語が目に付きました。

“jusqu'aubout du monde”

世界の果てまで、という意味です。

その言葉を見た瞬間に、こんな文章が浮かびました。

私の愛に対するイメージそのもののような、お筆先のオートマティック駄文です。

お目汚し、失礼しました。

 
                                  by進命