『楽園』


「ただいま、会いたかったよ」

今日も銃声が響く街を歩きながら、僕はいつもの場所へ向かう。そこにあるとうの昔に枯れ果てた巨木が

、僕にとってかけがえのない友人だ。その木に抱きつくと、固く冷え切った僕の心は温かくほぐれてゆく

「今日は、三人の人間を殺したんだ。みんな僕の心の中にずかずかと入り込んでくるようないやな奴らで

ね、たった一発の銃弾であっけなく死んでいったよ」

 巨木はざわざわと風に枝を揺らし、僕の言葉に相槌を打ってくれる。

「でも、殺す度に空しくなるんだよね」

 僕は巨木にもたれかかり、冷たい地面に座り込んだ。目を閉じると浮かんでくるのは、今までに殺した

人間の顔だ。僕は三年前から人を殺し始めた。動機は単純、金が欲しかったから。

「もうすぐだからね、カイン。もうすぐで、君を助け出してやれる」

僕は十二歳の時、孤児院を親友のカインと共に抜け出した。孤児院の中の、自由を奪われ日々息をしてい

るだけの生活。それに嫌気がさして飛び出してみたものの外の世界も、同じように息をするだけで精一杯

の場所だった。その日のパンを得るために、僕とカインはがむしゃらに働いた。

そしてその無理がたたったのか、カインはあっけなく死んでしまった。カインを埋葬するだけの金が僕に

あろう筈もなく、僕は泣く泣くカインをこの木の根元に埋めた。綺麗な石の墓にカインを埋めてやろう、

その想いだけが今の僕を支えている。

「ねぇ、カイン。あの街外れの海が見える高台がいいんじゃないかな?君は海が好きだったから、毎日海

を眺めていればいいよ。そのうち僕もきっとそこに行くから」

 今までに殺した人間の血なまぐさい匂いが消えない服に顔を埋めて膝を抱え、僕は救いのない眠りの中

に落ちていった……。

「それで、報酬はいくらなんだい?」

「内容にもよるよ」

 一日の役目を終え太陽がその姿を隠した頃、場末の汚い酒場で僕は殺しを依頼したいという男と向かい

合っていた。テーブルにはアブサンの空き瓶が何本も横倒しになっており、据えたような匂いが辺りに立

ち込めている。

「殺して欲しいのは、俺の女房と息子さ。新しい女ができたんだが、どうにもそいつらが邪魔でね」

人殺しを請け負う僕も、依頼するこの男も。どちらもこの世界の澱のようなものだ。自分の女房と息子の

死を望む男と、何一つ恨みなどないのに彼女達を殺す僕。貧しくても心正しいことを良しとしていたカイ

ンが見たら、どう思うのだろう?

「二人なら一万ダラーで請け負うよ」

いつもの三分の一の請求額を口にした僕を、カウンターにいたマスターが口笛を吹いて称えてくれた。あ

と一万ダラーあれば、カインの墓を買うことができる。そうしたらこの仕事からは足を洗うつもりだ。

「よし。半分は前金で、残りは結果報酬。これが地図と、家の間取りだ。これでいいな?」

「問題ないね」

男は蛇のような目を光らせ、唇を舐めた。ねっとりと唾液にまみれた唇から目を逸らし、僕は椅子を蹴っ

て立ち上がる。

「おい、どこに行くんだよ?せめて商談成立の酒くらい奢らせろよ」

「仕事は手早く済ませたいからね。それに酒は嫌いなんだ」

カウンターに百ダラー金貨を置いてテキーラの瓶を掴むと、僕は依頼主に白い歯を見せて笑いかけ店を出

た。そこかしこから腐臭の漂う街をテキーラをラッパ飲みしながら歩くと、急に隠していたヒューマニズ

ムが顔をもたげてくる。こんなゴミみたいな男の息子は、どんな顔をしているんだろう。僕やカインのよ

うに、全てを奪われた抜け殻みたいな顔をしているのだろうか?それとも母親の愛を受け、貧しくても幸

福と教えられまっすぐに育っているのだろうか。

「煙い……」

僕は思わずそう呟いて、思考の渦の中から意識を引きずり上げた。ぱちぱちと何かが燃える音と煙が、地

図に記されている男の家の方から流れてきている。

「おい、聞いたか。デュードの女房が自分の家に火を付けたらしいぞ」

「あの野郎は、女房ほったらかしにして若い女に入れあげてたからなぁ……。息子のカインも死んじまっ

たのかな」

カイン。その言葉で、僕の身体は一瞬にして硬直した。手渡された地図を広げ再度確認すると、間違いな

く火の手は依頼者の男の家から上がっている。

「いつ頃火が付いたの?」

僕はテキーラの瓶を投げ捨てて残酷な噂話に興じる男の胸ぐらを掴み、噛み付間ばかりの勢いで叫んだ。

男はよろよろと二・三歩よろけて、踏みとどまる。

「お前さん、デュードの家に行く所だったのかい?そうさなぁ、半時程前だったか……」

男の言葉が終わるのを待たずに、僕は燃え盛る家に向かって走り出した。親友のカインが病気になった時

、僕は何もしてやれなかった。高価な薬も買えず、医者に見せることもできずに、僕はカインを見殺しに

したのだ。だから今、同じ名前の少年を助け出せたなら。カインも天国で僕を許し、微笑んでくれるに違

いない。

「君!近寄っちゃいかん、いつ崩れるかも知れんぞ!」

家の前には何をするわけでもなく火事場見物にやってきた奴らを掻き分けて、ようやく家の前にたどり着

けた時には大きな音を立てて柱が軋みだしていた。

「子供が、この中には子供がいるんだ」

僕は止めに来た消防士にそう叫ぶと、近くにあったバケツの水を被り中に飛び込んだ。熱で視界と意識が

ぐにゃぐにゃに歪み、強烈な痛みを伴って僕に襲い掛かってくる。

「カイン!カイン!」

名前を呼ぶたびに、喉の奥に入り込む煙と熱。ひりつく痛みを覚えながらも、僕は赤い炎を掻き分け進む

。ありとあらゆるものが紅蓮の炎に包まれ、壊れていく様はまさに地獄絵図だ。

「…マ…ママ……」

炎の中をどれほど進んだのか自分でも分からなくなった頃、僕の耳に微かな声が聞こえてきた。母親を呼

ぶ幼い男の子の声は、倒れた柱と柱の間から聞こえてくる。

「そこにいるのかい、カイン!」

重い柱を火事場の馬鹿力で蹴り上げると、そこには怯えて座り込む幼い男の子の姿があった。男の子は僕

の姿を見るなり立ち上がり、小さい身体で懸命にしがみついてきた。

「ママが…ママがね……僕に死のうって言ったの。パパはずっとお仕事でお家にいなくて。ママは……」

「ママのことはまずいいから。まずはカイン、君がこの家を出るんだ」

ぐずぐずと泣くカインを背中に背負い、僕は家中を歩き回る。どこか小さな隙間でもいい、カイン一人が

通れる道を探さなければならない。

「熱いよう……苦しいよう……」

荒い呼吸を繰り返しながら、カインは僕に訴えてくる。かなり大量の煙を吸ったのだろう。声が酷くかす

れている。

「大丈夫だよ、カイン。何があっても、君だけは助けて見せるから。だからいい子にしていて」

背中のカインにそう叫んだ時、急に目の前が明るくなった。

「はやく、はやくその子を」

火の付いた木材の向こうから聞こえる、消防士の声。僕は無我夢中でカインを背中から下ろすと、消防士

にカインをゆだねた。

「お兄ちゃんも早く」

消防士が反対の手で僕を掴み、火の付いた家から引きずり出してくれる。さっきまでの熱と煙が嘘のよう

に、外は清浄な空気に満ち溢れていた。

「おい。こいつだ、こいつが俺の家に火をつけたんだ!」

さっきまで酒場にいたはずの男が僕を指差し、周囲の人間達にわめき散らしている。僕は反論する気もな

く、目を閉じた。カインが助かれば、同じ名前を持つあの子が助かれば。僕は放火犯呼ばわりされようが

、死刑になろうが構わない。

「デュード。お前さん見苦しいんじゃないのかい?」

「そうだよ。そのお兄ちゃんに失礼じゃないか」

 人々が口々に僕をかばい、冷たい水で濡らした布で僕の身体を拭いてくれる。ひんやりしたその感触が

心地よく、僕は目を開けた。

「こいつは殺し屋なんだ。今までたくさんの人間を殺してきたんだよ。俺の女房も子供も、こいつが殺し

たんだ」

 尚も喚く男の顔を見たまま、僕はゆっくりと立ち上がった。焼けただれた皮膚が剥け、強烈な痛みが走

っる。

「あんまり煩いと、殺すよ」

 僕のその一言で、周囲の人間達が凍りついた。僕が男の言う通り殺し屋だと、一瞬にして悟ったのだろ

う。さっきまでの笑みは、もう跡形もない。

「殺し屋が、人助けしちゃいけないの?金のために人を殺す僕も僕だけど、家族を殺してくれっていう貴

方も相当だよ」

そこまで言うと僕は消防士に応急処置を受けているカインに歩み寄り、その場に膝を付いた。

「大丈夫かい?」

僕の問いかけにカインはしっかりと頷き返し、小さな指でピースサインを作って笑う。僕も笑ってピース

サインを作ると、カインの頭を撫でた。

「幸せになりなよ」

僕はカインの額にキスを落とすと、凍りついた空気を蹴散らすように歩き出す。

「君。君も手当てを……」

責任感と正義感に溢れた消防士の声を幸福な気持ちで聞きながら、僕は這うように、親友が眠る場所に向

かう。死に絶えた森の巨木の下へ。

「カイン。カイン……」

朝日が昇り、日もかなり高くなった頃。僕はようやく友人の下へ帰り着き、その場に崩れ落ちた。手を伸

ばして巨木に触れ、目を閉じる。

「君は僕を許してくれるかい……。君と同じ場所にいることを許してくれるかい……」

僕はたくさんの人の命を奪った。カインを想う感情に身を任せて。そんな僕をカインが許してくれるなら

、僕の人生も無駄ではない。

『本当にお前は馬鹿だよ』

朦朧とする意識の向こうから、カインの声が聞こえる。僕が目を開けると、手を伸ばせば届きそうな、す

ぐ近くでカインが笑っていた。

『なんでしなくてもいい罪を重ねた?俺は別に墓なんかいらないんだ。お前が俺を忘れないでいてくれた

ら、それだけで良かったのに』

カインは動けない僕の隣に座り、遥か向こうに小さく見える海を眺めている。真っ黒でさらさらのカイン

の髪は風になぶられ、様々に形を変えていく。

『お前と一緒なら、どこだって俺には楽園だった。海が見えなくても、太陽が差し込まなくても。だけど

、俺はお前より先に死んだから。お前にそれを伝えることができなかったんだ。ごめんな』

カインはすまなそうに僕の頬に手を伸ばし、涙を零した。僕は言葉の変わりに何度も首を横に振り、カイ

ンの涙を止めようと笑ってみせる。

『アダム。楽園に戻ろう。また俺と一緒に暮らそう』

カインは立ち上がり、巨木に手をかけて僕を見つめた。するとカインのその言葉を待っていたかのように

、枯れた巨木が一斉に花を咲かせ始めた。どこにそんなエネルギーを隠し持っていたのか、何色もの花が

咲き辺りに甘い香りを振りまき始める。

『カイン……』

その花の香りに誘われるように、僕はゆっくりと起き上がった。足元には、目を閉じたまま動かない僕の

抜け殻が転がっている。きっと今、僕は死んだのだ。カインの骨が眠る、この木の下で。

『さぁ、行こうか。楽園へ』

過去は消えない。罪も消えない。未来も今、失った。だけど僕の心には淋しさも、悲しみもない。なぜな

らそこにカインがいるからだ。カインのいる場所が、僕にとっての楽園だから。

『まずは、海を見に行こうよ』

『そうだな』

カインが差し出した手を握り、僕は花咲き乱れる森を歩き出した。僕は今、楽園の住人になった―。

 

fine.