Cloudy〜幸福な女神〜



 「これも…もちろん恋人ごっこよね?」

 私はそう言って目を閉じ、新宮の肩に額を預けた。その瞬間眩暈にも似た幸福としびれるような恐

怖が私を支配し、感情を押し流した。

 『アフェアよ』

 『遊びだよ』

 シャイン姉さんとレインの声が、頭の奥から聞こえてくる。二人は人間の男に体は抱かれても心は

抱かれていないから、そう言うことが出来るのだ。快楽のための遊戯として。だけど私は、今。間違

いなく、新宮に心を抱かれてしまった。アフェアだ遊びだと、言い訳ができなくなってしまった……。

 「ごっこだよ……。だって、クラウディにも俺にもちゃんと自分の場所があるから。だから、ごっ

こ遊び」

 そう言いながら、新宮は腕の力を強める。私は目を閉じ、波音と新宮の心音だけを聞く。月明かり

だけがそんな私と新宮の嘘を見抜いていた。

 「今からいうことは、全部嘘だから」

 新宮はそう言って、私の耳元に唇を寄せた。

 「無人島で最初に見たときはすごく冷たい顔をしてて、正直苦手なタイプだと思ってたけど。話し

ていくうちにクラウディの顔がどんどん穏やかになっていって、さっき祭りの会場で屋台を見て回る

クラウディがすごくかわいく見えた」

 夜風がさわさわとローブの裾と新宮の言葉をさらい、静寂のなかに返してゆく。どこまでも甘くや

さしい嘘に、私は沈み込む。

 「そして綿飴を食べているのを見たとき。俺、ものすごく後悔したんだ。ごっこじゃ、すまなくな

って。だから…」

 「そこまででいいわ。それ以上嘘は聞きたくないから」

 私はそう言って、新宮を何とか引き剥がす。このままではどうしようもない程に溢れ出してきた自

分の想いに流されてしまう。言葉にされると、嘘が否定の出来ない真実になってしまいそうで。

 「俺は…」

 新宮が何かを言いかけたとき、黒い影が新宮の首筋に青白い刃を押し当てたのが見えた。その歪曲

した刃の持ち主は、天界に住むものなら知らないものはいないほどの有名な存在。死神だ。

 「デス殿。この人間を連れて行くおつもりか?」

 「クラウディ?」

 死神の姿が見えていない新宮は、私が誰と話しているのかわからずに辺りを見回している。死神は

基本的に自分の姿を人間に見られることを好まず、こうして姿を消して現れるのだ。

 「この者の天命、ここにて尽きる。邪魔立てなどされないほうが御身のためぞ」

 真っ白な顔に浮かぶきつい目を真っ向から見据えて、私は死神に歩み寄る。人には定命というもな

があることぐらい知っているが、今目の前で新宮を殺されたら。私はきっと狂ってしまう。

 「この人間の代わり、私が与えられるものならなんなりと与えよう。だが…」

 「薄闇の女神殿。ご存じないかも知らないが、御身は我が妻。妻が夫の職務の邪魔をするなど、笑

止千万」

 死神が笑いながら告げた真実に、私は思わずその場にくず折れてしまった。父なる主神が定めたも

うた夫が、今始めて恋をした男を殺めようとしている。その事実が、私の体から力を奪う。

 「では、代わりに私を連れて行きなさい」

 砂の上に座り込んだまま、私はそう叫ぶ。定命がなく永久の命が約束されている神でも、死に神の

鎌なら殺すことができる。主神に反逆した神や天使の処刑は、彼が行っているのだから。

 「早く!私を連れて行きなさい」

 私がもう一度そう叫ぶと、死に神は新宮から鎌を外して私に歩み寄ってくる。そして鎌を振り上げ

、一思いに私の右腕を切断した。

 「いかに御身が死を望んでも。御身は我が妻、死は赦さぬ。その代わりこのをもらっていこう」

 私は切断の痛みに気を失いかけながら、死に神が消え去るのを見送る。冷酷非情な死に神の、精一

杯の温情に少しだけ感謝しながら。

 「クラウディ、君は…」

 空を上ってゆく私の腕と、血も流れない傷口を見て。新宮は驚きとも恐怖ともつかない表情を浮か

べて駆け寄ってくる。

 「…私は天の北端の塔に住む女神。私の姉は晴天を司る陽光の女神。私の妹は雨天を司る慈雨の女神。

そして私は。太陽を隠し空を覆う。曇り空を司る
薄闇の女神」

 失った腕をかばうようにしながら立ち上がり、新宮に笑いかける。せめて最後は、笑顔で飾りたい

。最初で最後の恋の終わりは。

 「明日は、恋人とあなたのために。最高の星空を私が贈るから」

 私はそういうと、天界にいる風の天使を呼び寄せる。その背に飛び乗り新宮の額に唇を押し当て、

私は天使に“天界へ”とささやく。天使はものすごい勢いで空を上り始める。

 「クラウディ!クラウディ!!」

 新宮が何度名前を呼んでも、私は二度と彼を振り返らなかった。恋愛ごっこは、もう終わったのだ。

 

 「クラウディ。おろかな我が娘よ、なぜ天の運行をたがえたのだ」

 人間界でいうところの七月八日。私は父なる主神の前に跪き、目を閉じていた。新宮との約束どお

り、私はその羊皮紙張りの記録を書き換えた。CloudyからShineへと。

 「私の愛するもののために」

 臆することなくそういった私は立ち上がり、後ろに控えていた夫である死神を呼ぶ。死神は無言の

まま私に近づき、鎌を振り上げた。

 「天の運行を違えた罪は、私のこの腕を……くっ…」

 死神は私が言い終わらないうちに鎌を振り下ろし、左腕を切断する。そして腕のない私に代わり、

主神の前にその腕を投げ捨てた。

 「おろかな娘よ…。腕をなくし、どうやって生きていくのだ?」

 「死ねないのなら、どうにか生きていくしかないでしょう」

 主神が投げ捨てられた腕を見つめそういったとき、私は笑って見せた。どれほどの痛みも、あの時

新宮に抱かれた幸福には適わない。

「しかし解せぬ。御身も、主神も……」

 死神はそう呟くと、私を風の天使の背に乗せてくれた。私は夫である死神に礼を言うと、住み慣

れた薄闇の塔へと向かう。

誰も理解できなくてもいい。誰にも理解などされなくても、間違いなく今私は幸福なのだから。