Cloudy〜幸福な女神〜



「あぁ、クラウディ。私、暇で暇で死んじゃいそう」

「シャイン姉さん…。私の塔に来て、出来もしないことを言うのはやめてくれない?」

天の中央にある陽光の塔からわざわざ遠征してきたシャイン姉さんは、私の住む北の薄闇の塔の窓

から顔を出して大きく伸びをした。淡い黄色のローブの裾が、風に遊ばれてはためいている。

「私達は死ねないじゃない、人間でもあるまいし」

「あら、そうだったわね。でもちょっとした冗談にくらい付き合いなさいよ、薄闇の女神さん」

 窓の外を眺めるのにも飽きたのか、シャイン姉さんは私をからかうように通り名で呼んで窓を少し

だけ乱雑に閉めた。少しだけその音が気に障って、私は眉を寄せる。

私とシャイン姉さん、それに末の妹のレインは天界に住む女神だ。いつ生まれたのか、何年くらい

生きてきたのか。そんなことはもうずいぶんと前のことなので忘れてしまったが、私達は生まれたと

きから父なる主神より天の運行を任されている。雨が降るのも、太陽が出るのも。雲が空を覆うのも

全ては主神が定めたもうた天の決まりごとであり、それを違えることは許されない。それを余すこと

なく実行し、分厚い羊皮紙で出来た記録誌に結果を書き入れていくのが私達の仕事だ。

「薄闇と言うだけあって、私は暗くて冗談も通じないのよ。能天気な陽光の女神様のようには、ど

うにもなれない性分なの」

目の前でつやつやと光るシャイン姉さんの長い金糸の髪を見ながら、私は多少大げさに嫌味を込め

て姉さんの通り名を口にした。鮮やかな光の色をした髪が羨ましいと、私は自分の暗い灰色をした短

い髪に触れながらいつも思う。

「能天気だなんて失礼ね。そうだわ、人間界に遊びに行きましょうよ!」

シャイン姉さんはそう言って窓から手を伸ばし、あたりを飛び交っている風の天使を一人捕まえる

。緑色の髪をした天使の背に横座りに腰掛け、きらきらとした表情で東の慈雨の塔を見つめて。レイ

ンも呼んでくるわねと言った姉さんは、風に乗ってあっという間に消えていった。

「別に、人間界になんて行かなくてもいいのに……」

ごみごみとした小さな地面に足をつけて生きている人間という生き物に、私はそれほど興味がない

。晴天を司るシャイン姉さんや雨天を司るレインは、それなりに崇められたり尊ばれたりしているか

ら人間に興味もあるのだろうけれど。私の司る曇り空を喜ぶ人間はひどく少ないし、むしろ疎まれる

ものだ。

『降るか晴れるか、どっちかにして欲しいもんだわ』

『曇り空って中途半端だから、嫌なんだよ』

過去に聞いた人間たちの言葉が思い出され、私は薄灰色のローブの裾を皺になるほど握り締める。

姉さんとレインのように愛され求められるなら。私も人間に対して、もっと愛情と興味をもつことが

できるのかもしれない。

「久しぶり〜、クラウディ姉さん」

高く束ねられた青色の髪に同色の瞳。薄い水色のローブを纏った慈雨の女神のレインが、風の天使

の背から降り私に駆け寄って抱きついてくる。

「そうね。元気だった?レイン」

屈託なく無邪気な私の妹は、こうやって誰にでも懐き親愛の情を示すことが出来る。そのため他の

神々からも愛されていて、大地の神を始め彼女に求婚する神は後を絶たない。もっとも当の本人はま

だ結婚するつもりはないらしく、ふらふらと遊び歩いているが。

「元気元気。でも暇してたからさ、シャイン姉さんが来てくれて助かったんだ」

私の身体に回していた腕を解くと、レインはシャイン姉さんににっこりと笑いかける。シャイン姉

さんはそうでしょそうでしょと言いながら、風の天使の背から飛び降りた。金糸の髪が、また揺れ
 
る。

 「なんで人間界に行きたいのか、私にはそれがわからないわ」

 姉さんとレインが楽しげに語る人間界。私は人間界に行っても無人島や高い山の上など人の存在が

ない所にいることが多いが、二人は身分を隠して人間たちと交わりを持つ。特に、人間の男と。

 「アフェアよ。アフェアが楽しいから、行くんじゃない」

 姉さんはそう言って、同意を得るようにレインに視線を送る。

 「クラウディ姉さんは、人間の男と遊んだことがないから。その良さがわかんないんだよ。いいよ

〜、人間の男って」

 レインは今まで出会った男たちのことでも思い出しているのか、夢でも見ているような顔で窓から

下界を眺める。私は天界の男神達でさえ苦手で遠巻きに眺めているだけなのだから、人間の男とは話

すことはおろか接近することさえしない。

 「人間の男は単純で軽薄で、淫猥で誠実で愚かな生き物だから。いつまでたっても子供みたいなと

ころもあって可愛らしいし、アフェアの相手には最適なのよ」


 シャイン姉さんはうっとりとした顔で手を祈りの形に組み合わせ、目を閉じる。姉さんの場合は遊

というより、まさに不倫だろう。シャイン姉さんは太陽の神の妻であり、月光の女神の母でもあるのだから。

 「旦那にばれるかもってスリルが、またいいのよねぇ」

 「人間の女と違って、簡単に妊娠しないから便利だし」

 そう言って笑いあう二人に呆れ返り、私は小さな皮のバックに3冊ほどの本を詰め込む。人間界の

風が良く通る無人島で読書でもして過ごそうと、頭を切り替えながら。


 「さぁ、行きましょう」

 シャイン姉さんがそう言うと、レインが風の天使を三人捕まえる。緑の髪の天使の上にそっと乗

、目を閉じて。私は鞄をきつく抱きかかえた。


 「今回は、北の男と遊んでこようかな」

 ものすごいスピードで飛んでいる天使の背の上から、レインは楽しそうに人間界を眺めた。人間界

は小さくて狭い大地に、たくさんの人間がへばりつくように生活している。羽も持たず天使の背に

乗ることも適わない人間たちは、鉄の翼を作り上げて空を飛ぶようになった。それでも、彼らはまだ

天界に辿り着くことが出来ていない。もし、彼らが天界に到達する日が来たら。父なる主神は彼らを


歓迎するのだろうか。それとも……。

 「やだ、クラウディ。これから遊びに行くっていうのに、難しい顔して」

 私の隣にいたシャイン姉さんは手を伸ばし、私の頬をぐいぐいと引っ張る。

 「痛いんだけど、姉さん」
 
その手を引き剥がし、私はため息をつく。今からでも自分の塔に戻りたいくらいだが、それは二人


が許さないだろう。風に流される雲のように身を任せて、どこか静かな場所に逃げるのが得策だ。

 「少し楽しそうに笑いなさいよ」

 姉さんはそう言うと、風の天使に下降するように命じる。そこには賑やかで華やかな街があり、姉

さんと同じ金糸の髪をした人間達が行きかっていた。

 「期限は三日、ね。それぞれ楽しんでらっしゃい」

 姉さんを乗せた天使が急降下を始め、姉さんの声だけを残して消えていく。

 「レインはまだ北へ行くの?」

 ちぎれんばかりにシャイン姉さんに手を振っていたレインは、私の言葉に笑って頷いて。束ねられ

た髪の毛を、ふぁさりと解いた。空と同じ色をした髪が風になびくさまは、姉である私でさえうっと

りするほど美しい。


 「北の男って、男らしくていいんだ。遊びも上手だし。クラウディ姉さんも北に行こうよ〜」

 甘えるようなレインの口調に、私は苦笑する。この無邪気さで男神や人間の男を夢中にさせている

のだろう。その効果を計算しているのか、無意識なのかはわからないけれど。


 「私は、東に行くわ。調度いい無人島があるから」

 レインにそう言って、私は風の天使の耳元で命じる。“東へ”と。

 「じゃあね、クラウディ姉さん。いっぱい男と遊んできてね〜」 
 
 無人島という言葉を聞いていなかったのか、レインは大きく手を振りながらとんでもないことを言

う。シャイン姉さんになら食って掛かる私でも、レインには抗議をする気さえおきない。説明するの

に骨が折れるし、理解してくれる確立はほとんどないからだ。

 「あそこの小さいほうの島に降ろしてくれる?」

 二つの無人島が並んでいるうちの小さい島に降り立った私は、風の天使に礼を言って島の中を散策

する。この地域は今夏の初めらしく、もわっとした熱気が私の体を包む。島の中ほどにたどりついた


とき、ぽっかりと口をあけている洞穴があることに気が付いた。


 (涼しい)

 奥に水脈でもあるのか、ひんやりとした冷気が洞穴の中には満ちている。先刻からの暑さのせいで

読書などする気はとっくに失せていて。今はともかくこの熱から逃れたかった。

「誰?」

 洞穴の奥から、そんな声が聞こえてきて。私は思わず立ち止まった。この島は無人島のはずなのに

誰かがいる……。神である私には恐れるものなどない筈なのに、言い知れない恐怖が足元から頭の先

まで駆け抜けていく。